SS03(一ぐだ♂)

一ぐだ♂さんはTVがインフルエンザの大流行を告げる朝、かすかな光が扉の向こうから漏れてくる部屋で痛みを紛らわす方法についての話をしてください。



『続いてのニュースです。各地でインフルエンザが猛威を振るっており……』

洗面台の方から聞こえる水音に混じって、テレビの音が微かに聞こえる。凛と透き通った寒さとカーテンが閉じられて薄暗い部屋のなか、藤丸立香は布団にくるまってため息を吐いた。

藤丸は完全に参ってしまっていた。

人類最後のマスターであり、様々な戦場を駆け抜け、それなりに痛みや苦しみも経験してきたはずであったが、彼も風邪の前では形なしであった。全身が重く、関節の節々は軋み、全身が熱いのにどこか冷えている。脳内は思考が壊れており、極彩色の夢がひっきりなしに流れていた。

「おはようマスターちゃん。起きれる?」

扉が開かれて、その向こう側から斎藤一が顔を出す。ワイシャツの袖を捲った腕に抱えられていたのは、水の張られた桶であった。藤丸の寝ているベッドのそばにあぐらをかくと、桶の中で泳いでいたタオルを絞り始めた。

「身体でも拭こうか?寝汗ひどいよ。風呂入るのもつらいだろ?」
「……うん、お願い」

藤丸は布団からもそもそと起き上がり、おもむろにパジャマを脱ぎだす。そんな藤丸を斎藤は「いいって、いいって、僕に任せときな」と制す。その言葉を聞いて、藤丸は一瞬迷った素振りをみせたが、大人しくベッドの上に寝転がって斎藤に身を委ねた。

「はじめちゃん、」
「なぁにマスターちゃん」
「ごめん」

こんなことさせて、という言葉は部屋の中に溶けて消えた。斎藤は一瞬面食らったが、すぐにへらへらとした笑みを浮かべて「んー、何のこと?」とあえてとぼけてみせた。

斎藤は藤丸の傷だらけの身体を拭っていたが、ズボンを脱がそうと手にかけたところ、「そっちは、オレがやるから」と藤丸にタオルを奪われてしまった。藤丸が下半身を拭き終わった頃、新しいパジャマを着せては恭しくボタンをひとつづつ掛けていった。

「はー疲れた。マスターちゃん、僕も布団に入れて欲しいな」

タオルを放り込んだ桶をそのままに、シャツに皺がつくことも構わず、斎藤は藤丸が寝ているベッドに潜り込む。身体だけは藤丸の方を向いて、頬杖をつく。

「まだつらい?」
「うん」

つらいよ。布団の中から藤丸の青い瞳が覗いている。

「じゃあ僕がマスターちゃんにおまじないでもかけてあげようかな」

そう言って斎藤は空いている方の手で藤丸の身体をさすった。初めは肩をさすっていたが、手が背中にたどり着くと、規則正しくぽんぽんと叩いた。藤丸はその心地よさに思わずとろんと眠たげな表情を浮かべる。呼吸の感覚が開いていき、寝落ちる寸前といったところか。

「風邪なんて俺に移しちまいな」

早く元気になってくれよ、マスター、という声はもう藤丸には届いていなかった。微かに開かれた扉の向こうでは、つけっぱなしにされたテレビが一人で喋り続けている。



さみしいなにかをかくための題からお借りしました
(2023/07/18)戻る